TSUKUBA ALUMNI – 筑波大學 http://www.ocesh.com Just another WordPress site Thu, 05 Mar 2020 01:09:28 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.2 視點を変えれば、すべてが輝く(醫師、ホームオン?クリニックつくば理事長 平野國美氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta202002181150.html Tue, 18 Feb 2020 03:11:58 +0000 http://www.ocesh.com/?p=63403

醫師
醫療法人社団彩翠會 ホームオン?クリニックつくば理事長
平野國美氏

-訪問診療に取り組まれていますね。どのような患者さんが多いのでしょうか。

高齢だったり、末期がんや難病などで、病院に行けない方を診ています。本來の専門は呼吸器內科ですが、世代も病気もいろいろなので、體のことから精神のことまで、なんでも診ます。ただ、そういう患者さんですから、快方に向かうということはなかなかなくて、結局は、どのように死を受け入れ、それまでを自分らしく過ごすか、ということになってきます。

訪問診療では、家庭の中に入り込むことになりますから、病気の治療だけでなく、家族関係や経済狀況なんかにも、関わらざるを得なくなります?;颊撙饧易澶?、むしろそういうことで悩んでいて、そこをケアしないと、精神的な痛みは取れないんです。自宅で看病していると、家族や親戚間で爭いになることも多くて、夜中に呼び出されてその仲裁に入ったりすることもあります。

醫者のくせに、先端醫療とは無縁で死亡診斷書ばかり書いているなんて、と思われるかもしれませんが、死はみんなに必ず訪れるものだし、最近は、できるだけ自宅で、という政府の方針もあります。この時代だからこそ、必要な仕事なんです。

-始めたきっかけはどんなことだったのですか。

終末醫療は醫學のメインではありません。でも時代の流れを考えると、重要だと思いました。そんなことが成り立つとは思えないと、みんなに言われましたが、大學院を終えた頃に、大學ベンチャーが流行って、経産省の人に聲をかけられて始めたんです。そのプロジェクトはすぐに潰れてしまいましたが、やってみたら意外と自分に向いているような気がして。

それ以來、自分のところには終末期の患者ばかり回されるようになりました。もちろん患者を看取るのはつらいです。でもある時、いったん入院させた患者さんが自宅に戻ってきて、手を握って言われたんです?!缸苑证尾课荬呛盲圣芝椹`ムスを聴きながら死にたい」って。ある年齢を越えれば、それなりに社會的な役割は果たしているし、だったら最期のところを平和に、輝かせる仕事を誰かがやらなければならないと思いました。そのうち、賛同してくれる醫者やスタッフも現れて、介護施設を作ることもできました。

-患者さんやその家族との様々なエピソードを出版されていますね。

當初は、家族の揉め事に巻き込まれるのは面倒だと思っていたんですけど、すぐに頭を切り替えて、それを楽しむようになりました。他人の家をドアの隙間から覗いている感じですね。不謹慎かもしれませんが、そうやって見ていると、どの患者さんにも物語があって、もともと文章を書くのは大好きだったので、それを書きとめていくうちに、出版のお話をいただいて、ドラマ化までしてしまいました。

死と向き合うプロセスは、人生を振り返る時間です。特に高齢者の場合は、死そのものよりも、その前の苦痛や殘される家族を心配します。機械につながれて1秒でも長く生きるよりも、他にやりたいことがあるはずで、それを少しでも実現させてあげることで、本人も家族も納得できるんですよね。醫者としても、なるべく自然な形で、死亡診斷書に「老衰」と書き、家族には「大往生でした」と言ってあげたい。見せ方、捉え方で、死は必ずしも敗北ではなくなると思うんです。

-ところで、學生時代の筑波大はどんな場所でしたか。

実家は龍ヶ崎で、小學生の頃に筑波大ができました。グランドが土じゃなくてゴムでできてる、なんて聞いて、驚いて見に行ったりしました。偏差値も低かったし、それまでは実家の自転車屋を継ぐ気でいたんですけど、東京へ行かなくても大學へ行ける、自分のためにできたんじゃないかって勘違いしちゃって。

醫者を目指したのは、子供の頃に肺炎で死にかけたことがきっかけです。1浪してなんとか入學しましたが、正直、辛い場所でした。授業についていけなくて2年留年しましたし、一生懸命やったのに、研修醫としての評価も散々でしたからね。対人関係もあまりうまくいかなくて、勉強しに行くというよりも、気に入らない先生をなんとかしてやりたい、なんて気持ちで大學に通っていた時期もあります。とにかく居場所がない感じでした。

-これからやりたい醫療や活動について聞かせてください。

50歳を過ぎて結婚したのですが、他人と暮らしてみて初めて、自分が変わっていることに気づきました。一種の発達障害だったんです。それがわかってからは、それまで自分がうまくいかなかったいろいろなことも腑に落ちて、楽しく生きられるようになりました。一見、マイナスに思えることも、視點が変われば輝きだす。だから、これからは発達障害の人たちの支援もしていきたいと考えています。

困っている時に誰かが手を差し伸べてくれるというのは、どんな場面でもあることです。でも発達障害の人たちは、その手を拒否してしまったり、気づかずに見過ごしてしまうんです。支援する側の接し方を変えることで、一歩を踏み出せる人も増えるはずです。今、大學でなんとなく居心地悪く感じている人も、引きこもったり悲観的になる必要はありません。誰だって、居心地の良い場所が見つかれば、それぞれの個性を発揮することができるんです。

PROFILE

學歴
 1992年3月 筑波大學 醫學専門學群 卒業
 2002年4月 筑波大學 博士課程醫學研究科 修了
職歴
 1992年3月 筑波大學附屬病院及び県內の中核病院にて地域醫療に攜わる
 2002年4月 訪問診療専門クリニック「ホームオン?クリニックつくば」開設
 2003年9月 醫療法人社団「彩黎會」設立、理事長に就任
その他
 2004年 日本民間放送連盟賞ラジオ報道部門?最優秀賞受賞
(診療活動を紹介した茨城放送報道スペシャル)
 2009年10月 小學館より「看取りの醫者」刊行
 2011年12月 「看取りの醫者」 大竹しのぶ主演でドラマ化される

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すべてがつながって、今の自分(毎日放送アナウンサー室 上田崇順氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201911081630.html Fri, 08 Nov 2019 07:30:46 +0000 http://www.ocesh.com/?p=61763

株式會社毎日放送 アナウンサー室
上田崇順氏

-ご出身は関西ですね。筑波大學への進學はどのように決めたのでしょうか。

まずスポーツありきでした。高校時代、競泳で近畿大會までは行ったんですけど、もっと高いレベルのチームで練習したらどこまで行けるのか、やってみたかった。ただ、自分の泳力は超一流というほどでもなく、いろいろ調べて、筑波大なら、いろんなレベルの選手がいるらしいということがわかって、それで決めました。

でも、體育専門學群の一般入試は2種目必要なのに、水泳以外はできなかったんです。高校では理系だったので、工學部に行って、水泳も続けようと思いました。それで推薦入試を受けて、工學システム學類に入學しました。

入學したのは阪神大震災の直後で、交通も完全に復舊していなくて、神戸から大阪、さらに東京、つくばと行くのが大変でした。でも寮生活は楽しかったですよ。

早速、水泳部に入りましたが、やはり厳しかったです。たまたまこの年、自分と同レベルの人がたくさん入部して、新人コーチのもと、ステップアップコースみたいのができたのでラッキーでした。學業との両立は大変でしたけど、友人たちに助けてもらって、なんとかやりきりました。

-最初からアナウンサーを目指していたのですか。

1年留年したこともあって、進學せずに就職することにしました。専攻が情報処理だったので、技術職で、スポーツにも関われる仕事、ということで、放送局に絞りました。希望は、カメラマンなどの技術職でしたが、メディア研究をしていた知り合いに相談したら、なぜかアナウンサーを勧められて。アナウンサーの試験は他より少し時期が早くて、練習がてら受けているうちに、自信もついて、しゃべる仕事もいいな、と思うようになりました。

今の會社に入って、スポーツや情報番組を擔當しながら、その間、橫目で見ていた報道にも関心を持ち始めていたところに、新しいラジオの報道番組が始まることになって、そのリポーター兼キャスターのオファーが突然來たんです。最初に取材したのは沖縄の基地問題。それから東日本大震災があって、原発の問題に取り組むようになりました。番組は変わりましたが、その後は、香港や臺灣の問題などを中心に取材とリポートをしています。

-以前から政治や民主化運動などに関心があったのですか。

全く興味はなかったです。原子力は役に立つものだと信じきっていたし、偉い人はちゃんと考えてやってくれるものだと思っていました。

だから、原発の事故はとてもショックでした。京都大學(當時)の小出裕章さんに、毎日のように番組に出演してもらいながら、自分は現地で除染の作業員を取材しているうちに、東京で流れている情報とは違うことがわかってきたんです。そういうことを率直に報告して、リスナーにも隨分応援してもらいました。でも番組は打ち切られることになってしまって。それが青天の霹靂で、時間もできたのでカナダへ留學したんです。

カナダでは即興演劇を勉強しました。唐突な感じですが、演劇は、取材の中でたまたま出會ったもので、アナウンサーとしての表現力を身につけるのにもちょうど良くて、のめり込みました。今も、毎年のように、海外のあちこちで行われる即興演劇のイベントに參加しています。そこで、いろんな國の人と知り合ったり、自分が演じる役柄について調べたりするうちに、臺灣や香港の歴史や動向に関心を持つようになりました。

-これから取材したいテーマなどはありますか。

現在は、「ニュースなラヂオ」という番組でキャスターニュースや隔週で10分のコーナーを擔當しています。少ないように思えますが、きちんと取材して、オンエア用にまとめるには、それなりに時間がかかるんです。ネタは、基本的にはなんでもありで、自分で選ぶことも、スタッフから提案されることもあります。臺灣、香港の話題は継続していますし、広島の平和記念館からの中継、ITやAIのことを扱ったりもします。

演劇を通じて知り合った人たちに、世界中のいろんなことを取材できるのがすごく良いです。臺灣や香港だけでなく、アイルランドの人にブレグジットの話を聞いたり、ニュージーランドの人に女性首相の産休や銃規制の話を聞いたり、彼らもとても真摯に答えてくれるので、ありがたいですね。

-後輩たちに向けて、メッセージを。

人生の節目節目で、何かの流れにのみこまれて、思わぬ方向に行ってしまうことがあります。でもそれは用意されていたんじゃないかって感じるんです。その時は悲観したり戸惑っても、結果的には巡り會うべきものに巡り會っている。運命論みたいですけど、波長とか周波數が合う、という不思議な感覚を信じられると、人生が楽しくなります。大學では、友人に隨分助けてもらいましたが、その助け合い精神も、今だに役立っている。大學で勉強したことも同じです。一見、関係なさそうなことでも、全部つながっていると思います。

自分の將來の姿をイメージすることも大事です。だから、目標は高く掲げた方が良い。思い込んでいると、自然と意識がそちらへ向いて行動するようになって、実現するものですから。

PROFILE

1976年 兵庫県神戸市生まれ
2000年 筑波大學第三學群工學システム學類 卒業
     毎日放送入社 アナウンサーに
野球実況などのスポーツ、情報番組などをテレビ?ラジオ問わず擔當した後、2009年、ラジオ「たね蒔きジャーナル」立ち上げでラジオ記者兼務を3年?,F在、ラジオニュースを中心に擔當。沖縄、福島、臺灣、香港などを中心に取材を続ける。
2012年、福島原発事故、原発作業員の取材でギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞、民間放送連盟賞ラジオ報道番組優秀賞などを受賞。プライベートでは即興演劇に傾倒し、2013年夏、カナダへ短期留學。ヨーロッパ、ニュージーランドなど、海外の即興演劇祭に參加。

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移りゆく大切な瞬間を映像に殘して(映畫監督 甲斐博和氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201910110951.html Fri, 11 Oct 2019 00:52:10 +0000 http://www.ocesh.com/?p=60779

映畫監督
甲斐博和氏

-映畫に関心を持ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

もともとは芝居がやりたかったんです。舞臺や映畫を見たことはほとんどなかったのですが、中學生の頃に、自分の體ひとつでできる仕事に就きたいと思って、役者かな、と。それで、ある演劇のワークショップに參加したら、すっかりハマってしまって。

大學の演劇サークルでも、みんなで稽古場に入り浸っているのが楽しかった。2年目からは腳本も書くようになりました。その夏休みに、東京の劇団員たちと一緒に芝居をする機會があって、それは大學でやっているのとは大違いで刺激的で、のめりこみました。大學をやめるつもりで、両親に土下座までしましたが、卒業だけはすることにしたんです。

結局、大學には5年いました。でも最後の1年間は、在籍だけして海外を放浪しました。大學がそれを許してくれたことはとてもありがたかったですね。その時に、フランスでなんとなく見た臺灣映畫に衝撃を受けたんです。臺灣語のセリフにフランス語の字幕なのに、言葉がわからなくても伝わってくる。映畫の素晴らしさに気づきました。

-筑波大學での學びや生活は、演劇や映畫制作に役立つものでしたか。

父親の仕事の関係で、高校の2年間を南米のチリで過ごしました。日本に戻って帰國子女枠で受験できる國公立、となると、筑波大一択だったんです。それまで男子校だったので女子が多そうなこと、それに、芝居がやりやすいだろうと考えて、人間學類を選びました。

一度はやめようと思ったとはいえ、大學や勉強が嫌だったわけではないので、學生生活は楽しかったです。他の學類の授業も履修できたので、體育専門學群の鍼灸マッサージとか、知りたいと思ったことは何でもやってみました。一時期、住む場所がなくなって、スーツケースと寢袋を抱えて、學內のあちこちで寢泊りをしていました。落語研究會の部室の座布団にくるまって、一人でクリスマスを過ごした時は、さすがに、何やってんだ、と思いましたが、學內全體が自分の家みたいで居心地は良かったです。図書館なんかも好きな場所で、よく通いました。

つくばは、ちょっと閉鎖的だけどなんでも揃っていて、そこで完結できる。だからこそ人間関係が密になる。その中で、人の気持ちって何だろう、わかりあうってどういうことだろう、と考えるようになりました。それが現在の芝居や映畫のテーマになっています。社會心理や、環境と人間の関係性などを學んだことも影響しています。やっぱり勉強して良かった。

-初めて撮った映畫はどのようなものでしたか。

卒業後は、自分で腳本を書き、仲間を集めて芝居をプロデュースしていました。その頃、住んでいたアパートを立ち退くことになったんです。一軒家を大家さんとシェアしていて、庭付きの風情のある家でした。とても気に入っていたので、何かの形で殘したくて。自分の好きな場所に自分の物語を殘す、それは映畫でしかできないことでした。

でも、映畫のことは何も知らなくて、とりあえず、小津安二郎語録を読んで勉強しました。カメラも用意して、総勢5人で、たった一日で撮影したのが、最初の映畫です。劇場上映はありませんでしたが、映畫コンペで入賞できて満足したので、また芝居に戻るつもりでした。

ところが、芝居にはあんまりお客さんが來てくれなくて。やっぱり宣伝って大事なんですよね。映畫ならDVDなどでも配れるし、自分の名前も知ってもらえると思って、また映畫を撮り始めました。短編を何本か撮ってから、長編作品にチャレンジしました。それが「イノセント15」という作品です。2月に撮影したのですが、一ヶ月後に締め切りを控えたカンヌに出品すると宣言してしまったので、ものすごい急ピッチで仕上げました。カンヌはダメでしたが、國內外の映畫祭では評価されて、劇場公開もできました。

-今後の作品ではどんなテーマを扱う予定でしょうか。

學生の頃から教育に興味があって、卒論もフリースクールに関するものでした。実は今、子どもシェルターでボランティアをやっていて、いろんな事情で家族と暮らせない主に18歳未満の男の子たちの面倒をみています。かなり悲慘な狀況の子もいて、大人から見ると、いくらでも逃げる方法があるだろうって、その無知さと純粋さが歯がゆいんですよね?!弗ぅ违互螗?5」も、決して幸福ではない環境にいるティーンエイジャーの気持ちのずれ、みたいなことがテーマですが、ちょっとしたことで生じる感情の揺れ、といったものを描いていきたいと思っています。過去が匂いと共に蘇るみたいに、自分の中にずっと殘るものを作りたいです。今までお世話になった人たちへも、作品を通じて恩返しをしたいですね。

-後輩たちへのメッセージを、是非お願いします。

大學生活は遊びの誘惑も多いですが、いざ勉強しようと思った時に、使えるツールがたくさんあるのが筑波大です。人も施設も、とにかく使い倒すときっと面白いと思います。つくばにいると、外に出たいって思うかもしれないけれど、內側でしかできないことをきちんとやっておくと、実際に外に出た時にすごく豊かに感じられます。いい意味で閉ざされた空間を満喫して欲しいです。

PROFILE

1977年 鹿児島県生まれ
2001年 筑波大學第二學群人間學類卒業
2001年、大學を卒業後、役者の道へ。
東京乾電池研究生を経て、2003年に劇団「TOCA」を立ち上げる。2006年より獨學で映畫を製作。WS作品『靴が浜溫泉コンパニオン控え室』(2007/監督 緒方明)での共同腳本や、大阪C O 2での助成作品『それはそれ、』(2009)などを経て、隔年で短編映畫を中心に製作を続ける。初長編映畫「イノセント15」(2016 監督?腳本)が國內外にて受賞?劇場公開を果たす。

(TSUKU COMM【ツクコム】(筑波大學広報誌)vol.44より)

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自分にしかできない両立の道を進む(パナソニック ワイルドナイツ、ラグビー日本代表 福岡堅樹氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201909261000.html Thu, 26 Sep 2019 00:54:09 +0000 http://www.ocesh.com/?p=60574
ラグビー選手
パナソニック ワイルドナイツ
2019年男子15人制ラグビー日本代表
福岡堅樹氏

プロのスポーツ選手として活躍できるのは、ごくわずかな「選ばれし者」。メジャーな競技ならなおさらです。一方で、引退後のキャリアも設計しなくてはなりません。在學中からラグビー日本代表選手としてプレーしながらも、醫師への夢を諦めず、その両方に全力で向かっています。

-プロのラグビー選手というのは、どんな生活を送っているのでしょうか。

パナソニック ワイルドナイツの他に、サンウルブズという國際リーグ(スーパーラグビー)のチームにも所屬しています。ラグビーは冬のスポーツなので、國內では、1~2月にシーズンが終わると、少しオフがあって、春にはまた體力トレーニングをして、というサイクルです。でも、スーパーラグビーは南半球のリーグなので、日本と南半球で半年ずつ、常にプレーしている感じです。代表選手としては、6月と11月に試合があるので、その時期はそちらに集中しています。

それぞれ、メンバーも練習の仕方も違いますし、試合が続くと痛いところなども出てきますから、體のコンディショニングは重要です。膝の手術を受けましたが、幸い、うまく回復しています。

今年は日本でワールドカップが開催されるので、みんなが応援してくれるのがとてもうれしいです。前回のワールドカップで、だいぶ注目されるようにはなりましたが、ラグビーは本當におもしろい競技なので、もっと多くの人に觸れてもらえる機會があるといいですね。

-高校時代からラグビー選手として注目されていましたが、筑波大では體育専門學群ではなく、情報學群に入學しましたね。進學先はどのように選んだのですか。

ラグビーでの進學のオファーもいただいていたのですが、醫學部に行くことしか考えていなかったので、國立大學で醫學部があってラグビーが強いところということで、迷わず筑波大を選びました。筑波大には高校の先輩もいて、楽しそうな大學だという印象もありました。でも醫學部は受験に失敗してしまって、すでに一浪していたので、他大學の醫學部に行くか、浪人するか、ラグビーを取るか、の選択になった時に、やっぱり筑波大でラグビーをやりたくて、醫學部以外で何か將來に活かせることを學ぼうと思いました。今の時代はどの分野でもコンピュータの技術が必要で、この先、醫學の道に進んだ時にも、その知識をしっかり學んでおくことが役に立つと思って、情報學群に進學したんです。スポーツでもいろいろな場面でITが使われていますしね。

-學生時代は、どんなふうに競技と學業を両立させていたのでしょうか。

部活との両立はそれほど大変でもありませんでしたが、代表選手になってからは、なかなか授業には出られない時期もありました。でも、単位
がしっかり取れるように、試験の時などは友人たちが協力してくれました??鄤氦筏蓼筏郡堡?、卒論もちゃんと仕上げることができました。

つくばは田舎ですが、それも含めて楽しく過ごしました。みんなでボーリングに行ったり、馴染みの定食屋さんなんかも応援してくれたり、遊びも含めて良い記憶ばかりです。

ラグビー部は體育會系なのにとても自由で、組織の完成度というよりも、個々の選手の魅力が際立っていて、それが試合にも生かされていたと思います。ラグビーという競技自體、あまり上下関係のない風土なんですけど、1年の時から試合に出たり、代表選手に選ばれたりしても、みんなずっと変わらない態度で接してくれました。自分はキャプテンというキャラでもないし、純粋にラグビーを楽しめる場所でした。

-ここまでラグビーを極めた上で、やはり醫師を目指すというのは、かなり強い決意ですね。

ラグビーはあと2年でやめようと決めています。年齢的にも、キャリアの切り替えができるギリギリのところですしね。パナソニックに入った時も、最初からその條件でした。でも、終わりを決めているからこそ頑張れるという面もあります。後悔しないように、自分にできることをやり
きりたいと思います。みんなの記憶に殘るような選手になれればいいんですけど。

父や祖父など家族に醫師がたくさんいたこともあって、自然と子供の頃から醫師に憧れていました。醫師になるように強制されたことは全くなくて、好きなことをやっていく中で、自分の意思で決めました。いまだにそれ以外に進みたい道は見つかりません。特に、內科醫だった祖父の影響が大きく、「能力がある人間は、それを社會のために還元しなくてはならない。お前にはそれができる」と言われたのが強く心に殘っています。ラグビーと醫師の両方で、そういう生き方ができたら、と思っています。

選手のキャリアパスとしては、コーチや教員になるという選択肢もありますが、そういう指導者的な立場ではなく、醫師としてラグビーに関わり続けたいと考えています。選手の気持ちもわかりますし、トップレベルで競技をした経験のある人が持つ説得力というのもあると思います。自分にしかできないことをやりたいんです。

-筑波大の後輩たちに向けて、是非メッセージを。

筑波大學には、自立できるかどうかが、自分自身の成長に大きくつながっていく環境があります。だから、何かしらやりたいことを見つけて、それに向かって一生懸命になることができれば、確実に成長できます。なかなか簡単なことではないかもしれませんが、自分はこれを頑張ろう、ということを一つでも決めて、大學生活を過ごして欲しいと思います。

PROFILE

1992年 福岡県生まれ
2016年 筑波大學情報學群卒業
第49回(2014年)、第50回(2015年)の全國大學選手権で筑波大學ラグビー部準優勝に貢獻。情報學群4年次在學中に、ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出。2016年、パナソニック ワイルドナイツ加入。同年7月、リオデジャネイロオリンピック7人制ラグビー日本代表選出。さらに同年11月にはスーパーラグビー サンウルブズに加入。パナソニック ワイルドナイツでのポジションは、ウイング(WTB)。2019年ラグビーワールドカップ日本代表候補。

(TSUKU COMM【ツクコム】(筑波大學広報誌)vol.43より)

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本に「存在のリアリテ?!工蚺cえる(裝丁家 鈴木 成一 氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201909241000.html Tue, 24 Sep 2019 01:00:56 +0000 http://www.ocesh.com/?p=60551

裝丁家
鈴木成一デザイン室
鈴木成一氏

書店に行けば様々な本が並んでいます。著者やタイトルを見て手に取ることが多いかもしれませんが、まず表紙に目を奪われるということも少なくありません。本にモノとしての個性を與えるのが「裝丁」。電子書籍にはない力強さを生み出します。

-裝丁家というのは、あまり知られていない職業だと思いますが、どういう仕事で、どのような経緯で始められたのですか。

なりたかったというよりは、ならされてしまったという感じですね。學生時代に先輩の手伝いで、鴻上尚史さん(劇作家?演出家)が早稲田大學で立ち上げたばかりの「第三舞臺」という劇団の公演ポスターを作るようになりました。その流れで鴻上さんの第一戯曲集のデザインを頼まれたんです。在學四年の頃です。それが最初ですね。普通は戯曲集なんて注目されないものですが、鴻上さん自身が注目されたおかげで、多くの人に見てもらえて、裝丁の依頼が來るようになりました。

裝丁は、表紙の図柄だけでなく、本文の組み方にまで関わります。また表紙も、紙質や厚みから加工、印刷方法まで、その本の佇まいにふさわしいものを選ばなくてはなりません。本というのは不思議なもので、日常の中にありながら、実用性と裝飾性の両面を兼ね備え、ひとつの個性として主張します。手にとって愛でるような、工蕓品にも似た、モノとしての奧深さも持っています。裝丁の魅力もそこにあると思います。

-學生時代から、ということですが、筑波大はそういう活動がしやすい環境だったのでしょうか。

學生の頃はデザインのバイトと授業の課題制作に明け暮れていました。グラフィックデザインというのは、とにかく紙に印刷しなくては作品になりません。當時はまだ、パソコンもプリンターもなくて、製版や寫植など、印刷屋がする作業を全部自分でするわけですが、筑波大にはそのための機材、しかもかなり高価で大型のものまで揃っていて、ほぼ使い放題でした。その環境は本當に良かった。おかげで、印刷表現のあれこれをたくさん學びました。デザインに限らず美術の各分野を極めた先生もたくさんいて、とても刺激を受けました。

とはいえ、筑波大に進學するとは思ってもいなかったんです。高校では美術部の部長をやっていて、美術系の進路を希望していましたが、経済的に私立大は厳しいので、漠然と蕓大を目指していました。高校當時の擔任から推薦枠があると聞いて、初めて筑波大を知ったんです。だから行ってみてたまげました。田舎にもかかわらず巨大だし、近代的だし。本気でやってみようという気持ちになりました。

-哲學書からタレント本まで、あらゆるジャンルを手がけていらっしゃいます。裝丁で大切なことはなんでしょうか。

本を出版するというのは、どんなジャンルであれ、それが今、世に広めたいものだということです。書店で平積みになったときに単に目立たせようというのではなくて、その本がまさにこのタイミングで存在することの意味というか、リアリティを與えることです。それを目指して、イラスト?寫真?文字などあらゆる素材を総動員します。ですから中身を読むことは必須です。子供の頃は読書は嫌いだったんですけどね。難解で、ちっとも理解できないこともありますが、そういう時は、一読者としての居直りにも近いアイデアがどういうワケか降ってきたりします(笑)。原稿が何百枚、長編小説によっては千枚を越えたりで、割りに合わないような気もしますが、これはもうこの仕事の宿命ですね。お陰様で休日のゲラ読みは欠かせません。

もちろん、なかなかビジョンが浮かばなかったり、踏ん切りがつかないこともあります。でも裝丁はあくまでも仕事で、自分の作品としてこだわるべきではないと考えています。その線引きとなるのが締め切りであり、著者や編集者のリクエストであり、また內容そのもので、そこから求められるかたちが見えてきます。自ずと客観的な立ち位置になれるんです。長年やってきて、作家性を追求するより、與えられた企畫の中で最善を作り出す方が、自分には向いていると感じています。

-これまでのキャリアを振り返って、後輩たちにどんなことを伝えたいですか。

先日數えてみたら、これまでに裝丁した本が1萬數千冊になっていました。もう30年以上になりますから、ほぼ1日に1冊の計算ですね。多い時には年間800冊も引き受けたでしょうか。今は、基本コンセプトの指示と最終的な意思決定は自分が行いますが、実作業は7人のスタッフが擔當しています。常時、30冊ほどを並行して進めています。

実はこの仕事を始めて10年目ぐらいの頃、辭めようかと迷ったことがあります。目立たない仕事ですし、そのまま続けていていいのか、よくわからなくなったんです。ちょうど、大學の講師にならないかという話もあって。そんな時に講談社出版文化賞のブックデザイン賞をいただきました。それでやっと、デザイナーとしての自信と自覚を得た気がしました。

自分は何者か。いろいろな世界に觸れ、地道に経験を積み、他者とのぶつかり合いの中で刺激を受けることで、自分のアイデンティティを獲得できるんだと思います。それはまさに、自分の中心に向かって掘っていく作業で、そうやって自分の生き方を削り出していくしかありません。そう実感できるようになったのはここ10年ぐらいのことです。若いうちはまだ何者でもない。知ったかぶりをせず、積極的に物事に挑みながら地力をつけてほしいです。

PROFILE

1962年 北海道生まれ
1984年 筑波大學蕓術専門學群卒業
蕓術研究科修士課程中退後、1985年よりフリーに。1992年(有)鈴木成一デザイン室設立。 1994年講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。エディトリアルデザインを主として現在に至る?!糕從境梢谎b畫塾」講師。筑波大學人間総合科學研究科非常勤講師。 著書に『裝丁を語る?!弧亥钎顶ぅ笫摇唬àい氦欷猊ぉ`スト?プレス刊)、『デザインの手本』(グラフィック社)

(TSUKU COMM【ツクコム】(筑波大學広報誌)vol.42より)

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未解明の不思議を追う(學研プラス ムー編集部 三上 丈晴 氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201909131436.html Fri, 13 Sep 2019 05:36:20 +0000 http://www.ocesh.com/?p=60542

株式會社學研プラス 趣味?実用コンテンツ事業部 趣味?カルチャー事業室 ムー編集部 編集長
三上丈晴氏

スーパーミステリーマガジン「ムー」といえば、隠れファンも多い人気雑誌です。オカルトや都市伝説など、非科學的と揶揄されがちな話題を扱っていますが、それはスタンスの問題??茖Wとは何か、考え抜かれた誌面が、読者の心を摑みます。

-筑波大では物理學を専攻したそうですが、最初から出版社への就職を希望していたのですか。

當時の第1學群、朝永振一郎先生の後を継いだ研究室に所屬していました。バリバリの理論物理ですね。その頃は、銀行などでもディーラーとして理系を採用するようになって、就職先の選択肢は広がっていましたし、バブル期で、希望すればたいがいの企業には行けそうな雰囲気でした。そんな中で、出版社に絞って就活していました。

バブルとはいえ出版業界は買い手市場だったので、何社も応募しましたが、學研が最初に內定をくれました。それでそのまま決めたんです。創業時に東京教育大出身の人が多かったようですから、その流れもあったのかもしれませんね。

入社して最初の半年ぐらいは歴史関係のムックシリーズを擔當しましたが、それ以降、ずっと「ムー」の編集をやっています。雑誌という媒體自體が難しい時代ですが、研究家やライターの方々のおかげで続けてくることができて、來年で創刊4 0 周年を迎えます。編集長になっても、ネタ探しにはいつも苦労していますし、取材をして記事を書く、という作業はずっと変わりません。

-かなり怪しげだと思いつつも、つい目を引かれてしまいます。毎月、これだけの誌面が埋まるほど、そういう話題は盡きないものなのですね。

オカルト雑誌と言われることが多いのですが、UFO 、超能力、古代文明、ツチノコなどなど、「ムー」で扱っている話題は、一つのカテゴリーでくくれるものではありません??茖W的でないという批判も受けますが、科學だって自然科學だけではないし、物理と化學と數學とでも物事の捉え方が違います。極端に言えば、「科學的」が意味するところも人によってバラバラです。ムーは、いろいろな見方に基づいた「説」を紹介し、読者に考えて欲しいというスタンスです。それで最近は「哲學雑誌」と言っています。

哲學はすべての學問の源。博士號だって、英語だと分野に関係なく「Doctor of Philosophy」ですよね。哲學には宗教學と思想と美學があって、そのうちの思想の中に科學という概念がある。日本の教育では哲學をちゃんと學ぶ機會がほとんどないんだけれど、こういうことを理解していないと、科學的云々の議論は不毛です。

人間とは何か、人類にとって最も重要なこの命題には、ギリシャ哲學以來、まだ答えが出ていません。そこからさらに、命とは何か、死後の世界はあるのか、などの様々な問いが生まれるのだけれど、それも答えは出ていない。答えがない、のではなくて、まだわかっていないんです。だからいろんな説があっていいし、アマチュア研究家から大學教授まで登場できるんです。それが「怪しさ」として人を惹きつけるんでしょうね。

-筑波大にはそういう考え方を養う土壌があったのでしょうか。

1980年代半ばに、筑波大でニューサイエンスの國際シンポジウムがありました。ニューサイエンスって今では死語ですが、要するに歐米の近代科學の方法論ではなくて、東洋思想みたいなものも取り入れて全體主義的な概念で科學を捉え直そうという動きのことで、ちょっとしたブームになっていました。その國際シンポジウムは、スペインで第1回が開催されて、2回目がつくばでした。筑波大のフランス文學や哲學の先生たちが、その旗振り役だったんです。それで筑波大に興味を持って、進學しようと思いました。

筑波大にはいろんな都市伝説があって、それで新入生を脅かしたりしたものです。宿舎には幽霊話がいくつもありましたし、秘密の生物実験施設で人面犬がつくられているとか、地下に「第4學群」があって、そこは軍事基地になっていて、いざ核戦爭が起こったら、理系の學生は兵器開発に、體専(體育専門學群)は兵隊として送り込まれる、なんて話がまことしやかに伝わっていました。実際、第4學群の標識があったんです。どうやら當初は第4學群もつくる予定だったらしいですね。

-そう聞くと、筑波大もなかなか怪しい所ですね。ご自身は學生生活を満喫されましたか。

今だから言うと、宿舎でもサークルでもずいぶん酒を飲まされましたよ。酔って暴れて松美池に飛び込んだりね。高校時代はバレーボールをやっていて地區大會優勝もしたんですけど、筑波大の部活はレベルが違いすぎて、サークルに入りました。そしたらメンバーが100人ぐらいいて、とてもバレーボールにならない。それで2年生の時に、ワンダーフォーゲルを始めました。車はあるし、どこかに行きたくて。山登りや川下りをいろいろやりました。特に屋久島は過酷でしたね。スコールみたいなものすごい雨の中を決死の覚悟で登って屋久杉を見てきました。學業は、理論物理で、基本的にはゼミが中心でした。4年生になっても週に4日とかゼミがあって、これが大変でした。

もし戻れるなら、學生時代に戻りたい。人生における夏休みの大半は大學時代に使ってしまうのではないでしょうか。お金はないけれど、時間はたくさんあるし、責任もない。將來への不安もなくて、いちばん楽しめる時期だと思うんです。だから、今の學生たちも、良い意味でも悪い意味でも、大いに遊んで欲しいです。もちろん、人に迷惑をかけたりするのはダメですけどね。若いって素晴らしい。ぜひ今という時を楽しんでください。


(色紙右下の文字はヘブライ語で「こんにちは」の意)

PROFILE

1968年 青森県生まれ
1991年 筑波大學自然學類卒業
同年、株式會社學習研究社(現 株式會社學研ホールディングス)に入社し、「歴史群像」編集部を経て「ムー」編集部所屬。2005年、5代目編集長に就任。世界のミステリーや不思議現象を知的エンターテイメントとして発信し続ける傍、テレビ番組やイベントへの出演、コラム執筆なども精力的にこなす。信じるか信じないかはあなた次第。

(TSUKU COMM【ツクコム】(筑波大學広報誌)vol.41より)

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ダイバーシティをライフワークに(ぐるなび 垣內 美都里 氏) http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201904181540.html Thu, 18 Apr 2019 06:48:03 +0000 http://www.ocesh.com/?p=58816

株式會社ぐるなび 取締役 執行役員 管理本部 法務コンプライアンス室長 ダイバーシティ推進室長
垣內 美都里 氏

ダイバーシティの重要性は誰もが認めるところですが、女性活躍など、その捉え方はごく一部にとどまっているのも事実です。垣內美都里さんは、日本の食文化を海外に発信するという視點から、真に多様性を理解する人材の育成を進めています。

-食の情報発信をする企業にとって、ダイバーシティにはどのような意義があるのでしょうか。

飲食店の情報サイトは、海外からの観光客などにも利用していただくものです。和食は世界遺産にもなっていますし、日本には世界中の料理が集まっていて、しかもそれぞれのレベルが高い。それほど素晴らしい日本の食文化なのに、世界に向けての発信はいまひとつだと感じます。それには、外國語対応だけでなく、文化や習慣の違いなども理解した上で、日本の良さをアピールすることが大切です。ネット検索も、方法や目的が多様化していて、求められる情報の種類や見せ方にも工夫を凝らさなくてはなりません。ですから、外國人や老若男女、さまざまな人の視點を取り入れる、つまりダイバーシティを広げることが、より良いサービスの提供につながります。少子高齢化で國內市場が縮小しても、そうして食を楽しむ目的で日本を訪れる人が増えれば、日本の食文化の継承はもとより、経済成長ももたらします。
ダイバーシティ推進はトップのコミットメントが鍵です。役員として、日頃からできるだけ多くの社員とコミュニケーションを図って課題を見つけ、それらを行動目標として業績評価や人事システムに組み込んで、ダイバーシティが自分ごとになるよう、組織全體の意識改革に努めています。

-ダイバーシティに取り組むようになったきっかけは何ですか。

筑波大では法律、特に商法を専攻しました。女子學生の就職は厳しい時代でしたから、企業で役立ちそうなことを學ぼうと考えたんです。當時の就活は先輩リクルーターの採用活動が一番の頼りで、日産自動車に就職していた先輩女性が聲をかけてくれました。入社して法務部に配屬されたのもラッキーだったと思います。
その頃の日産は典型的な日本型企業でしたが、バブル期を過ぎて経営狀態が悪化すると、フランスから新しい経営陣がやってきて、グローバル化という劇的な変化の波にさらされました。社內公用語が英語になり、異なる価値観が導入され、優れた提案でも日本流のアピー
ル方法では國際社會で評価されないということを痛感しました。大変でしたが、ずいぶん鍛えられましたね。
法務擔當としてグローバル體制の構築に関わる中で、徹底的なダイバーシティ推進も大きなテーマでした。女性活躍から始まり、真に多様性を受け入れる方向へとフェーズを移していきました。ダイバーシティを理解する人こそがグローバルに活躍できるということなんですよね。これからも、ライフワークとして、そういう人材を育てる一翼を擔っていきたいと思っています。

-學生生活を振り返って、ご自身のキャリアの糧となるような出來事や経験はありますか。

受験の時點で學部を決めてしまいたくなくて、筑波大を志望しました。田舎にいると將來の進路に全くイメージがわかないし、いろいろ見てから決めたかったんです。都會に出たい気持ちもありました。インターネットもオープンキャンパスもない時代で、つくばに行ったのは入試が初めてです。今思えばかなりの冒険ですが、好奇心の方が圧倒的に強かったですね。
つくばは想像していたような都會ではなかったものの、多くのカルチャーショックがありました。まずは風景。どこまでも続く平野に筑波山だけという眺めは、海や山々に囲まれた故郷とは大違いで驚きました。でも何より驚いたのが、分野も個性もとにかく千差萬別な學生たちです。田舎から出てきた自分にはびっくりするような人もいましたが、自分とは全く違う人たちと觸れ合うのは宿舎生活ならではの體験です。體育の授業で柔道をやることになってしまって、柔道に男女の差はない、なんて言われて、男子に何度も投げ飛ばされたりもしましたが、それもこれも、ダイバーシティの原點のような経験の連続でしたね。
また、つくばでの生活には車が必需品でした。免許を取り自分で運転するようになると楽
しくて、友人と一緒に夜の筑波山などあちこちドライブして回りました。そもそもの就職先に自動車會社を選んだのには、そんなことも影響したように思います。

-現在の筑波大や學生たちへのメッセージを。

企業もまだまだですが、日本の學問や研究の世界は、特にダイバーシティが遅れていると思います。女性や外國人も少ないですし、支援が不十分で諦めてしまったり、他を犠牲にして頑張ったりと、働き方にも古い體質が殘っています。リケジョが注目されていますが、どんな人や分野でも、なりたいと思えるようなロールモデルがいなければ後が続きません。簡単にはいかないでしょうが、このままでは國際的に遅れをとってしまいます。ダイバーシティは眉間にしわを寄せながらやることではありませんから、明るく楽しく変えていけるといいですね。
學生たちには、とにかくグローバルな視點を持つこと。內向き、安定志向ではこれからの社會を維持できません。若くてまだ心が柔らかいうちほど、異なる文化や環境を受け入れることができます。留學生と積極的に交流したり、留學でも旅行でも、言葉がわからなくても、怖がらずにどんどん國外に出て、自分たちの知らない世界が溢れていることを知ってもらいたい。そうすれば必ず何か気持ちが動くはずです。

PROFILE

1965年 愛媛県生まれ
1988年 筑波大學第一學群社會學類卒業
同年日産自動車株式會社入社。法務室にて北米、アジア、國內の各種法務業務に従事。軽自動車の合弁會社設立やグローバル法務體制の構築等に攜わる。2014年7月に株式會社ぐるなびに入社。管理本部ダイバーシティ推進室長、法務コンプライアンス室長を兼務。法務業務全般、並びにダイバーシティの推進役として女性のキャリア支援や多様な人材が活躍できる仕組みづくりに取り組んでいる。

(TSUKU COMM【ツクコム】(筑波大學広報誌)vol.40より)

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田嶋 幸三 http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201901111120.html Fri, 11 Jan 2019 02:55:57 +0000 http://www.ocesh.com/?p=57185 [氏名]

田嶋 幸三?。ē骏伐蕖ˉ偿Ε茎Γ?br /> [入學?卒業(修了)等年,所屬(學群?學類,研究科名)]

1976年入學?1980年卒業 體育専門學群
1985年入學?1987年修了 體育研究科
[現在の職業(勤務先?役職等)]

公益財団法人日本サッカー協會(JFA) 會長
國際サッカー連盟(FIFA) 理事
筑波大學客員教授

[メッセージ(質問)]

① 現在のお仕事を聞かせてください。

日本サッカー協會は老若男女,グラスルーツから國際試合まで,また,フットサルやビーチサッカーも含めて,日本のサッカーの全てを扱います。それらを責任を持って発展させなければいけない組織です。會長として,代表チームの統括や,指導者?選手の養成はもちろん,マーケティングや財務などにも関わっています。
サッカーには様々なレベルで多くの人が動いていて,その全體を束ねるのは難しい。もちろんいろいろな人との協力も必要です。そこで役立っているのは,コーチ學や指導者養成の経験です。人をマネジメントすることは,チームをまとめるのと同じです。

② 今改めて,筑波大學で良かったと思うことを聞かせてください。

學ぶことが本當に楽しく感じたのは,大學院に戻ってからですね。漠然と考えていたことが腑に落ちたり,疑問が解決したり,まさに目から鱗の連続でした。學び直しができる環境があるのは,筑波大の良さのひとつです。
卒業して社會人リーグで選手を続けながらも,體育教員,いつかは教える立場になりたいという思いがありました。社會人學生として大學院でコーチ學を學びつつ,ドイツのケルンにあるスポーツ大學に留學し,帰國後,修士論文を仕上げ,蹴球部の指導にあたりました。そのころ入學してきたのが井原(正巳)や中山(雅史)です。自分が勉強してきたことをぶつけると,彼らはすぐに反応してくれて,チームとしても関東大學リーグでの優勝を果たしました。こういう形で指導方法を確立していけたのはとてもラッキーでした。

③ 本學と本學の學生に対してメッセージをお願いします。

大事なのは世界に目を向けることです。サッカーも,海外で活躍する選手が増えました。でも選手や監督の力だけで勝てるわけではありません。同じように,どんな分野,職業でも,各人が世界一を目指さなければ向上しないし,その意識をなくしたらつまらないでしょう。戦う相手は世界です。

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伊藤 久美 http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201811301640.html Fri, 30 Nov 2018 07:57:21 +0000 http://www.ocesh.com/?p=56545 [氏名]

伊藤 久美(イトウ クミ)
 

[入學?卒業(修了)等年,所屬(學群?學類,研究科名)]

1983年入學 1987年卒業 第三學群社會工學類
 

[現在の職業(勤務先?役職等)]

4U Lifecare株式會社(フォー?ユー?ライフケア) 取締役COO
株式會社Yext(イエクスト)執行役員 チーフ?マーケティング?オフィサー
立命館大學 客員教授
筑波大學 非常勤講師
 
 

[メッセージ(質問)]

① 現在のお仕事を聞かせてください。
 
大學卒業後,ソニー,日本アイ?ビー?エム,GEヘルスケアを経て,2016年10月から醫療をITで変革するために立ち上げられたスタートアップ,4U Lifecareに參畫し,事業の立ち上げを進めています?,F在注力している事業は「なでしこナース」という,Uber型でITのみで約70萬人といわれる潛在看護師(資格を持っているが働いていない看護師)にすきま時間で病院や施設での仕事をマッチングするサービスです。ソニーを辭めた後に夫の転勤先の九州で専業主婦をしていた経験もあり,いろいろな事情があってフルタイムで働くことが難しい人に新しい働き方を提供できないか,という思いがあり,この事業の意義と魅力を感じています。並行してNYで2017年にIPOしたばかりのYextという會社の日本法人の立ち上げの支援をマーケティングの立場からしています。

 
 

② 今改めて,筑波大學で良かったと思うことを聞かせてください。
 
社會工學という學問がまさに學際的だったので,本當にいろいろな分野を學ぶことができたこと(あまり熱心な學生ではなかったのですが,それでも學んだことは大きい),それ以外の授業を取れば他の學類の學生ともすぐにつながれたこと,全國からいろいろな學生が來ていて,留學生も含めればまさに大學の中がダイバーシティを體現しており,単一の価値観に染まらずに自由な考え方が基本にできたこと,かと思います。
 
 

③ 本學と本學の學生に対してメッセージをお願いします。
 
筑波大學に入る人は,もしかしたら本當は第一志望ではなかったかもしれません。なぜ筑波なのか,ということを改めて問われると,うーんと考え込んでしまう人もいるかと思います。でも,卒業して人の採用や教育にも関わるようになると,筑波大學卒業生のビジネスへの対応力の高さ,柔軟性に驚くことが多いのです。すごくきちんと仕事ができる。安心して採用することができます。それだけのポテンシャルがある皆さんが,筑波大學で教育を受けることでさらに高い可能性を持つことができるようになる,そんな場所が筑波だと思います。企業だけではありません。私のようにベンチャーに行くもよし,自分で立ち上げるもよし,社會に貢獻するもよし。ライフシフトの時代のど真ん中にいる皆さんだったら,人生何毛作にもできるはずです。そして,筑波のOBが日本中,世界中にいます。みんな皆さんがヘルプを求めれば,応援してくれると思います!

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藤井 清美 http://www.ocesh.com/tsukuba-alumni/ta201806251540.html Mon, 25 Jun 2018 07:06:27 +0000 http://www.ocesh.com/?p=53924 [氏名]

藤井 清美(フジイ キヨミ)
 

[入學?卒業(修了)等年、所屬(學群?學類、研究科名)]

1990年入學?1994年卒業 第一學群人文學類
 

[現在の職業(勤務先?役職等)]

劇作家 演出家 シナリオライター
 
 

[メッセージ(質問)]

① 現在のお仕事を聞かせてください。
 
大學在學中、劇作家になりたいと志望して劇団青年座文蕓部に入団しました?,F在は劇作家、演出家として仕事をしています。また、二〇代後半にシナリオコンクールに応募して受賞したのをきっかけに、ドラマや映畫の腳本を手がけています。最近のドラマでは、オトナの土ドラ「ウツボカズラの夢」や「相棒」など。映畫では「引き出しの中のラブレター」「インシテミル 7日間のデス?ゲーム」、「るろうに剣心」シリーズ、「ミュージアム」などが、主な仕事です。2017年6月にはオリジナル長編小説にも挑戦し、『明治ガールズ 富岡製糸場で青春を』として現在KADOKAWAから出版されています。

  
 
 
② 今改めて、筑波大學で良かったと思うことを聞かせてください。
 
今も同じだと思いますが、みんな大學のまわりに住んでいたので、自然と男女問わず一緒にいる時間が長くなって、時には朝まで他愛のないおしゃべりをして過ごしました。些細な悩みや、実家との関係、將來について思うこと???何時間もかけて色々と話したことが、人を理解することの基本になっているという気がしています。高校の頃には出會わなかったような多様なひとの、それぞれの想いにたくさん觸れることができたというのは、私の人生にとって、得難いことだったと思います。
 

 

③ 本學と本學の學生に対してメッセージをお願いします。
 
小説『明治ガールズ』にも書いたことですが、人が成長する過程では、小さい丸から突然ポンと大きな丸になるわけではなくて、いびつになってしまうときが必ずあります。うどんの生地を伸すイメージでしょうか。そういう時期には、一生懸命なあまり他のことが疎かになってしまうかもしれないし、當然、そのことで周囲の反発を買うこともあるでしょう。でも、不格好で不安定な自分を恐れるよりも、ひとつの通過點と思って、信念を持ってチャレンジして欲しいと思います。

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